1. HOME
  2. 記事・コラム一覧
  3. コラム
  4. 経済ファンダメンタルズ悪化でも依然政治優先か―習主席の上海“南巡”も効果見えず(下) 日暮高則

記事・コラム一覧

経済ファンダメンタルズ悪化でも依然政治優先か―習主席の上海“南巡”も効果見えず(下) 日暮高則

経済ファンダメンタルズ悪化でも依然政治優先か―習主席の上海“南巡”も効果見えず(下) 日暮高則

経済ファンダメンタルズ悪化でも依然政治優先か―習主席の上海“南巡”も効果見えず(下)

<富裕層の動向>
不動産バブル抑制で住宅物件を複数持つことが制限されたことから、富裕層、大企業は国内で投資先を失い、海外に資金を移すようになった。月単位で見ると、2023年8月の中国資本の海外流出額は490億ドルで、「ここ8年来の最高額」と言われた。だが、9月はさらに増え、539億ドルとなった。これは2016年1月以来の額である。16年の流出額は558億ドルだったが、この時は人民元安が起きたことでの一時的な現象で、経済状況を反映したものではない。今回はコロナ禍後の景気回復状況を見極めたあとのファンダメンタルズの悪化を受けたもので、長期的な見通しに立った上での動向なのかも知れない。富裕層、企業は2023年中に数千億米ドルを海外に移転したとも言われる。

海外移転した資金はどうなっていくのか。米系華文ニュースによれば、資金の一部はニューヨーク、ロンドン、東京に流れ、不動産購入などに充てられているという。ただ、米国や欧州は中国資本に対し警戒的だ。米国ではテキサス、フロリダなど複数の州で中国人の不動産購入を制限する動きに出ている。そこで狙われているのが日本で、今、東京の300万米ドル以上の物件購入希望は圧倒的に中国人だ。コロナ禍以前も中国人富裕層による日本大都市での物件購入の事例はあったが、投資額は33万米ドルを限度とされていた。これらの物件は日本に旅行し滞在したときの宿泊先として利用するケースがほとんどで、利殖目的の感じはなかった。ところが今では商業ビルを一棟ごと購入するなどして、利殖の手段として活用するようになっている。

こうした資金の海外流出によって人民元安を招いている。中国では個人の海外への外貨持ち出しを禁止するため、個人の外貨換金を一人当たり年5万米ドルに限っていたが、海外でクレジットカードとデビットカードを兼ねた銀聯カードなどを使えば、当該国通貨で自由な引き出しが可能であった。そのため、2017年からはカードを使っても年間10万ドル以下でしか引き出せないように変えられた。旅行客が携行する金も2万人民元あるいは5000米ドル相当を超えてはならないとなった。それでも富裕層はさまざまな手を使って資金を海外に持ち出してきた。今年は1カ月平均で約500億ドルの資金流出があったようだ。このため、金融当局は為替介入し、毎月150億ドル程度のドル売り元買いに出ている。

元安になれば、富裕層はそれなりに資産の目減りを防ぐための防衛策を講じなければならない。金融当局の抑制で外貨への転換が困難であるのなら、手っ取り早い方法は黄金(ゴールド)に替えることだ。日経新聞によれば、ニューヨーク先物市場で12月上旬、一時1トロイオンス(約31.1グラム)で2100ドルを超え、史上最高値を記録。以後、この高値を維持し続けているという。これはもちろん、米国が預金金利を下げるという観測があることも原因の一つだが、やはり中国人客の買い需要が増していることが大きい。上海黄金交易所での現物価格は、12月11日時点で、1グラム470元。ドル換算すると、国際価格に比べて1トロイオンス当たり40ドルほど高いという。今秋以降特に、中国人のゴールドへの関心と購入意欲は高まっている。

<習主席の上海“南巡”>
習近平氏が党第18回大会で総書記になる2012年以前、国有企業に流れる資金は銀行の全貸付資金の32%でしかなかった。しかし、そのわずか4年後の2016年には全貸付金の83%が国有企業に流れたという。これだけ見ても、習主席がいかに国有企業を重視し、いわゆる社会主義化を進めてきたかが分かる。権力の集中を図るために必要だったのかも知れない。ただ、この「国進民退」の傾向が確実に経済全体の活力を奪ってきたことは疑いない。民間主導経済は計画性を欠いて不動産バブルを招いたように負の部分もあるが、IT産業にしても、サービス・商業活動にしても、先端技術産業にしても、総体的に景気を刺激し、雇用を確保してきたプラスの面の方が大きかった。

コロナ禍明けでゼロコロナ政策を廃止しても景気が回復しないことに業を煮やした習主席とその指導部は、やっと民活の必要性を理解したようだ。国営新華社通信は、習主席が11月28、29日に上海市を訪問し、先物取引所や科学技術関連の展示施設を視察したことを大々的に報じた。香港の英字紙サウスチャイナ・モーニング・ポストによれば、習氏の上海訪問は2020年以降で初めてという。かつての最高指導者鄧小平氏が、天安門事件3年後の1992年1-2月、深圳、珠海、上海など南方都市を巡察し、「改革・開放を加速せよ」と檄を飛ばした。このいわゆる南巡講話を聞いて、天安門事件で引き揚げた海外企業も再度中国市場を見直し、その後の同国経済発展に協力したのだ。習主席もこの鄧氏の南巡を倣い、低迷する景気にてこ入れするため、鳴り物入りで上海巡察という行動に出たと見られる。

習主席の上海巡察のあと、国務院は12月8日に政策発表会を開き、上海自由貿易試験区の「高水準の制度型開放」の総体方案なる文書を明らかにした。JETROのビジネス短信によれば、商務部が地方政府と協力して「国際的に高水準な経済貿易ルール」を制定したとされ、具体的には上海に限らず、広東、天津、福建、北京の5つの自由貿易試験区と海南省の海南自由貿易港で、物品、サービス貿易、ビジネス関係者の入国、デジタル貿易、ビジネス環境、リスクの防止管理の6分野で試験的な緩和措置を実施するものだという。中国の公的文書はいつも抽象的で分かりにくいが、要はつまらぬ障害を設けず、人、物の交流を活発化させたいということらしい。同国のメディアは「大々的な開放だ」と自画自賛している。

上海の自由貿易試験区とは、2013年9月29日にスタートした開放型経済区域で、物品の輸入時に関税が課せられない保税区の拡大版とも言える。貿易のための保管地にとどまらず、この区域での工場立地や物品の出入りも自由にするとしていた。先般死亡した李克強前総理が当時、熱心に取り組み、自ら上海を訪れ檄を飛ばしていたので、海外企業、バイヤーはかなり注目した。だが、2015年4月27日、当時の上海市書記だった韓正氏(現国家副主席)が演説の中で、この区域での特別扱いを止めると宣言してしまった。恐らく習近平主席の意向に沿ったものと見られる。これも習主席と李前総理の確執を生んだ原因の一つかも知れない。今回の総体方案はこの自由貿易試験区をもともとの構想に戻そうとするものなのかどうかは分からない。

<疫病の再来と今後どうなる?>
中国には「雪上加霜」という四字成語がある。雪の上に霜が降りる、つまり災難や不幸が重なるという意味で、日本のことわざで言えば、「泣きっ面に蜂」が当てはまる。近年の中国においては、コロナ禍の中で不動産バブルが弾けた状況がまさに雪上加霜である。コロナ感染が完全に封じ込められたとは思えないが、ゼロコロナ政策には庶民の大きな反発があったために2022年暮れの段階で終止符が打たれた。ただ、その後も一向に経済の復調は見えない。それどころか、不動産バブルの後遺症や西側との関係悪化という問題で不景気感は増している。今年、一般庶民は細々ながら立ち上がってかつての日常を取り戻そうと頑張ったが、そんな中にまたまた不幸が襲った。新たな呼吸器系の疫病が蔓延したことである。

最初は北京など北方の都市を中心に、子供たちが高熱を発して次々に病院に運び込まれた。肺炎と診断され、病室は満杯状態になり、感染はまもなく上海などの南方にも伝播した。これまでの情報では、感染症の病原体は新種の細菌、ウイルスではなく、インフルエンザやCOVID-19、肺炎マイコプラズマ、RSウイルス感染症など旧来の病原体が混ざり合ったもののようだ。だが、2020年初頭、武漢に新型コロナウイルスが出現し、人がばたばたと死んだ記憶も生々しいことから、親たちは高熱の子供を抱えて病院に駆け込んだ。それでも医師たちは「新型」でないことに安心したせいか、投薬だけで済ませている。患者の母親たちは「並んで数時間も待ったのに、医師の診察はわずか5分程度だった」との不満タラタラだ。

今でも病院の満杯状況は変わっていない。加えて空気が乾燥する冬は感染症がはやりやすい時期。このため、医事専門家は「あるいは年明けにさらに感染ピークを迎える可能性もある。既存の病原体といえ、複数が同時に流行すれば、感染した患者は重症化し、死亡率は高くなる」と警告を発している。だが、その一方で、一部の人は「政府が再びゼロコロナ政策を発動して区域や都市全体の封じ込めを実施すれば、経済を低迷させる恐れがある」として、むしろ経済への影響に対し懸念を強めている。

こんな感染時期の12月8日、党中央政治局会議が開催された。来年の経済工作について討議するのが目的で、会議では「習近平新時代の特色ある社会主義思想を指導方針とし、全面的に改革・開放を進化させていく」との方向性が示されたという。同時に、党中央紀律検査委員会の工作報告があり、来年も綱紀粛正、反腐敗闘争を進めていくとの点が強調されたという。相変わらずの政治優先か。続いて官制メディアによって、「党中央経済工作会議」が11、12の両日、開催されたと報じられた。政治局常務委員が全員出席したが、会議の具体的な中身については明らかにされていない。習主席自身は12日にベトナム公式訪問のためハノイに出掛けてしまった。厳しい経済状況にある中でも、海外訪問を優先するのは余裕なのか。それとも追及が予想される経済工作会議に出続けたくなかったので“海外脱出”したのか。

毎回党大会の翌年秋に開催され、今後5年間の党活動の方向性を示す「3中全会」も重要な会議だ。文革収拾後に開催された1998年の第11期3中全会は、党と国家の活動の中心をそれまでの政治活動から経済建設に移し、改革開放実行の必要性をうたったことで、今でも語り草になっている。だが、昨年秋の第20期党大会後の3中全会は開催されないどころか、日程も明らかにされていない。習主席が依然政治優先でいくならば、早期の経済復興は望めそうにない。


《チャイナ・スクランブル 日暮高則》前回
《チャイナ・スクランブル 日暮高則》次回
《チャイナ・スクランブル 日暮高則》の記事一覧

タグ

全部見る