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第614回 様変わりするパキスタンの難民政策 直井謙二

第614回 様変わりするパキスタンの難民政策 直井謙二

様変わりするパキスタンの難民政策

パキスタン政府は不法滞在する外国人、おもにアフガニスタン避難民への規制を強化している。1979年の旧ソビエトのアフガン侵攻で大量のアフガニスタン難民がパキスタン領内のペシャワールなどにながれた。

旧ソビエトは1988年からアフガニスタンから撤退を始めると、イスラム原理主義のタリバン政権が政権を樹立した。タリバン政権がアルカイダを支援したとして2001年にアメリカがアフガンを攻撃し、タリバン政権が崩壊した。この時多数の難民が帰国し内戦は収束したかに見えた。しかし2021年再びタリバン政権が復活すると新たに60万人を超える難民がパキスタン領内に流れ込んだ。

登録されているアフガニスタン人は230万人と言われているが、アメリカが突如撤退し混乱の中避難し登録していない難民も多く、総数は400万人を超えている可能性もある。アフガン難民に対し温厚だったパキスタンは外国人の帰国を促し、従わない場合は強制送還するとしていて一部は生活に不安を抱えながら祖国アフガンに戻った難民もいる。

旧ソビエトがアフガン侵攻をしていた80年代、数度にわたってパキスタンの難民キャンプを取材した時のパキスタンの政策とは大きく変わった。ペシャワール難民キャンプを取材した後、首都のイスラマバードを訪ねると賑やかにバザールが開かれていた。(写真)

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アフガン絨毯を販売する店なども見られ、半分はアフガン難民の露店だ。生活を維持するためにバザールに参加しているだけでなくイスラマバードの繁華街にはアフガン通りという通りがあり店主は皆アフガン人だった。

タイに置かれていたカンボジア難民キャンプのイメージが吹き飛んだ。インドシナ紛争から逃れた難民は10か所ほどに分かれて国境付近のキャンプに収容され、国連などの支援で最低限の生活を維持していた。無論、キャンプから出ることもできず商業活動など考えられなかった。

商業都市カラチを調べると1万人ほどのアフガン難民が生活していた。難民はイスラマバードより商業都市カラチの方が仕事もあるし生活しやすいと吐露した。パキスタン市民にインタビューをすると「アフガン人も同じイスラムの教徒、困っているのを助けるのは当たり前だ。アフガン人も自由に移動し商売をすべきだ」と言っていた。

パキスタンの様変わりは経済の停滞、大洪水などの災害それに一帯一路などによる中国に対する債務拡大などが考えられる。80年代はアメリカなどの支援で潤っていたパキスタンも様変わりせざるを得ない状況のようだ。

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