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第619回 55年ぶり同窓会での再会は「浦島太郎の気分」 伊藤努

第619回 55年ぶり同窓会での再会は「浦島太郎の気分」 伊藤努

第619回 55年ぶり同窓会での再会は「浦島太郎の気分」

4月末からの大型連休を控えたある週末、55年前に卒業した東京近県にあるK市の公立中学の同期生有志による「古希を祝う同窓会」が地元であり、筆者は10年ごとに開いてきたというこの卒業生仲間の集まりに初めて参加した。地元の二つの小学校の出身者が多い母校のT中学校で約300人いた同期生のうち、今回は人生の節目の年ということもあって男女ほぼ同数ずつの80人余りが各地から集まった。筆者にとって、出席した同窓、級友のほとんどが中学の卒業(昭和44年=1969年)以来初めて顔を合わせることになったため、半世紀以上に及ぶ空白の歳月を経ての再会劇は、「あの昔話で知られる浦島太郎もかくありなん」と思うような不思議な体験の場となった。

◇同窓会への呼び掛けはLINEを積極活用

中学の卒業後に進学した高校と大学の同期の仲間や友人とは社会人となってからも定期的に会う場が長くあったが、中学の場合は、中学3年のときに市内の別の町に引っ越したという個人的な事情もあって、同級生たちとは疎遠となってしまっていた。もちろん、同じ市内にある公立高校に進学した中学の同窓とはよく知った仲の友人もいるのだが、それは中学同期生のごく一部にすぎない。

T中学の同期による集まりで幹事役を務めてくれるのは、学校近くの駅前にあった青果店の息子のM君で、今も実家の近くで暮らすM君にはソーシャル・メディアのLINE仲間に中学の同級生が多い。このため、今回の10年ぶりという集まりでも、M君を中心とした中学時代のLINE仲間のつながりを最大限活用し、まだ付き合いのある別の級友にも声を掛けるという形で、古希同窓会への参加の誘いや出欠の連絡が行われた。こうした事前のLINEでのやりとりを通じ、スウェーデンやマレーシアなど海外在住の同期生のほか、仙台や大阪、神戸など全国各地にいる級友とも情報を共有できるようになったのはやはり驚きだった。手紙や葉書、電話くらいしか連絡手段がなかった中学時代とは違い、瞬時に時空を超えて情報を交換したり、共有したりできる便利さという点では隔世の感があることを改めて実感した。

筆者が長らく、中学時代の同窓会の集まりが定期的にあったことを全く知らなかったのも、こうしたソーシャル・メディアを使った交流の輪から外れていたためで、今回の一件を機にLINEの仲間に加えてもらうと、チャット上のやりとりや写真添付の友人らの近況報告などが一挙に増えたのは近年の情報革命の恩恵のなせる技だろう。

地元の繁華街にある中華料理店で開かれた今回の古希同窓会では、受付で「所属していた3年次のクラスと各自の名前(女性は旧姓)が書かれた名札」を上着に着けてもらったので、胸にある名札を見れば、会場で出会った相手の昔の姿や顔かたちを辛うじて思い出すことができた。この名札がなければ、ほとんどの同級生の名前を正確に言い当てることはできなかったに違いない。

◇空白の歳月を経ての記憶には個人差も

55年ぶりの再会という貴重な場となったので、大広間にある丸テーブルで3年生のときに同じクラスだった友人との思い出話や自己紹介などが一通り済んだ後、ビール瓶を抱えて他のクラスの丸テーブルをゆっくり回って、12年生のときに同じクラスだったと思われる級友に声を掛けたり、短い立ち話をすることができた。

会場でそうこうしていると、Mさんという同じクラスにはなったことのない初対面同然の女性から突然、声を掛けられ、「実は伊藤さんにお願いしたいことがあって……」と告げられた。何でも、今回の集まりに向けてLINEで何度か同窓会の関連でチャットを交わしていた折、自分の中学1年時の担任だったS先生をはじめ、何人かの恩師の思い出話を書いたことがあり、Mさんはその私の文章を偶然見て、S先生の近況を知りたいと思ったのだそうだ。Mさんは中学時代、琴を弾く筝曲(そうきょく)部に所属しており、「部活の顧問をしていたS先生にお礼の手紙を出したいので、先生の住所を知っていれば教えてくれませんか」という依頼だった。

Mさんの頼みを快く引き受け、その夜に帰宅した後、今年も頂いたS先生の年賀状にあった住所を早速、LINEを通じて連絡した。それから2週間ほど経った頃、「S先生からご返事をいただき、今回の件ではいろいろお世話になりました」という連絡をMさんから頂戴した。

後日談となるが、Mさんのお礼の言葉を受け取った後、久しぶりに都内に住むS先生のご自宅に電話をかけ、今回の一件のいきさつを先生に話すと、電話の向こうから「確かにT中学時代の教え子から筝曲部での指導について感謝のお手紙が届き、懐かしく当時を思い出し、お礼の葉書を出しておいたわ」という懐かしい声が聞こえた。先生との電話のやりとりの中で、筆者が同期生のMさんを全く知らなかったこともあり、「Mさんはどんな生徒でしたか」と聞くと、すでに80代とご高齢のS先生は「それが随分と昔のことなので、Mさんのことは覚えていないのよ」と話され、その正直な告白に少しばかり驚いた。

S先生との電話のやりとりはMさんには内緒にしておくことにするが、55年の歳月を隔てた記憶は人それぞれによって少しずつ違うもののようである。「覚えている」あるいは「忘れてしまった」という記憶に関わることになるが、筆者にも近年、似たような体験が多くなっているのはやはり、加齢に伴う老化現象の表れでもあるのだろう。

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