第622回 修復工事を終えたアンコールワット西参道 直井謙二

修復工事を終えたアンコールワット西参道
2023年11月4日アンコールワット西参道の修復工事完成式が上智大学アジア人材養成研究センター石澤良昭所長やシハモニ国王らが参加してアンコールワットで開かれた。
日本政府や上智大学による修復支援が始まったのは1996年のことだ。ポルポト政権が崩壊した直後からアンコールワットを訪ねた上智大学の石澤良昭所長の修復に向けた情熱が大きく貢献した。長年にわたる石澤所長の活動は小欄でもたびたび紹介させていただいている。つい1年ほど前にも石澤所長がフンセン前首相と共に王立プノンペン大学から名誉博士号を授与されたことを書いた。(小欄 第596回「アンコールワット建立と中国の大躍進」)
石澤所長と初めてお会いしたのは、1980年代の中ごろだった。全くの素人の筆者に、アンコールワットの遺跡は砂岩でできており、雨がしみこみやすく、湿気が多いためカビが生えやすいこと、また長い間の内戦で遺跡が砦のように使われたため、修復が疎かにされていたことから、崩壊の危険があることを説明していただいた。さらに、西参道を指さし、右側と左側の違いを比較するよう指示がでた。

左側の荒れた参道は人影が少なく、その荒れた様子が強く印象に残った。(写真)一方、右側の参道は、カンボジアの宗主国であったフランスでアンコール遺跡の研究実績がある極東学院などが中心となって1900年代に修復が始まり、右側の参道は修復が完了していた。西参道の左側が未修復なままなのは、その後のカンボジアはインドシナ紛争やポルポト政権の成立などで放置され大雨や台風がアンコール遺跡に大きな損傷を与えたことを語っている。
カンボジアは1992年の国連主導の下総選挙が行われ平穏を取り戻した。上智大学などが1996年から参道左側の修復作業を開始し27年の年月をかけようやく参道全体が整備された。修復工事には日本側が技術指導を行いカンボジアの遺跡保存の専門家も多数参加し修復の一翼を担った。ポルポト政権による虐殺でカンボジアのアンコール遺跡の専門家は一時わずか2名に減ってしまった。教室や資料も破壊され、アンコールワットの前の広場で青空学校を開き若い学生を指導する石澤所長を取材しながら道のりの遠さにため息が出る思いだった。
現在では、修復作業にカンボジアの専門家が加わるほど育っているということだ。アンコール遺跡の修復はカンボジア人の手でという石澤所長の思いが遺跡の修復も人材の育成にも成功したといえそうだ。
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