第194回 戸惑ったタイ人の助手の休暇 直井謙二

第194回 戸惑ったタイ人の助手の休暇
海外支局で重要な役割を果たしている現地記者。土地カン、人脈を知り尽くし現地語の壁を取り除いてくれる現地記者の手助けなしには思うように仕事は進まない。
赴任先で優秀な記者を雇えることが出来たら、海外業務の三分の一は成功したといえる。
一方で国民性も育ちも違う現地の相手と言葉の壁を乗り越えて意思の疎通を計り仕事をするには苦労もある。特に顔つきが同じで、信仰する宗教もほとんどが仏教徒のタイでは時として外国人と働いていると言う感覚が薄れ、これくらいは理解しているはずだと思いこみお互いに甘えが出て失敗するケースも多い。
赴任間もない85年の年末だった。日本では丁度忘年会の季節だ。普段は筆者を旦那様と呼び、礼儀正しい支局の運転手も交え、裃を脱いだ日本式の忘年会を計画したのが最初のつまずきだった。裃を脱ぐと言うのは日本の風習であって、タイにはそぐわなかった。結局タイ人の現地記者も運転手も押し黙ったままの気まずい空気だけが流れる忘年会になってしまった。記者にしてみれば運転手と同じ席で会食をすることに抵抗があり、運転手にしてみれば礼儀正しくしなければならない日本人とタイ人記者と一緒に食事をするくらいならチップをもらって別の機会に仲間と飲みたいと言うことだ。

事件や国際会議が続き忙しい時期に、男性記者が突然1か月の休暇を要請してきた。夏休みでも正月休みでもないので驚いて理由を尋ねると、出家し僧院で修業したいと言い出した。タイでは男性は一生に一度は出家し、短期間僧侶になる習慣があるとは聞いていたが、自分の身に影響が出るとは思っていなかった。
タイ人記者の友人を臨時の記者にすることで何とか乗り切る算段を取りほっとしていたら、自宅で得度式をするので参加して欲しいと要請された。郷に入っては郷に従えで、忙しい時間をやりくりしてタイ人記者の自宅を訪ねた。東京の我が家よりはるかに立派なタイ人記者の自宅には家族や親せきそれに友人など大勢の人が集まり、僧侶になるための断髪で得度式が始まった。全員が参加するということで筆者も慣れない手つきで少し髪をそり落とした。役目は終わったと安心していたら、今度は寺院に向かう前に懺悔をするので椅子に座ってくれという。タイ人の記者は椅子に座った筆者の前にひれ伏しこれまでの罪を告白し始めた。普通は当然タイ語だが、筆者のために英語での懺悔となった。タイ人記者の告白する罪は筆者のこれまでの罪に比べれば取るに足らないもので、立場を入れ替えて欲しい気持ちになっていた。
写真1:僧侶の朝の托鉢風景
《アジアの今昔・未来 直井謙二》前回
《アジアの今昔・未来 直井謙二》次回
《アジアの今昔・未来 直井謙二》の記事一覧