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第190回 ミャンマー(ビルマ)国営放送の思い出 直井謙二

第190回 ミャンマー(ビルマ)国営放送の思い出 直井謙二

第190回 ミャンマー(ビルマ)国営放送の思い出

ミャンマーは反政府運動家に恩赦を与え、スー・チーさんの政治活動を認めるなど民主化に向けた動きを速めている。1988年8月、経済の破綻や学生デモへの弾圧に端を発した反政府デモが当時のビルマ全土を覆った当時とは想像できないほど様変わりした。反政府デモを受けて、ビルマ政府は外国人記者へのビザの発給を禁止したため赴任していたバンコクの記者はラングーン帰りの日系商社マンを取材するしかなかった。そんな情けない取材に嫌気がさしてきた頃、タイとビルマの国境付近に行けばビルマ国営放送のテレビが受信できるかもしれないと気がついた。独裁国家の放送が偏向していても背に腹は代えられなかった。

日本の援助で始まったビルマ国営放送のカラー放送は日本と同じNTSC方式だ。だが駐在していたタイはPAL方式で、PALの受像機やVTRしか売られていなかった。自由港のシンガポールまで行けばNTSC方式の装置は手に入るだろうけれど、うまく受信できなければ無駄になってしまう。どうしようか困っていたけれど、灯台下暗しでバンコクの自宅にあったNTSCの受像機(当時流行っていたファミコン・ゲーム用のもので日本から運んだもの)を使ってみようと思いついた。子供のブーイングを背に、受像機を車に積みビルマ国境に近い街、メソッドにたどりついた。(写真)

街の電気店に頼み込み、竹竿の先にアンテナを付け受像機につないでみた。受像機は見事にビルマ国営放送の映像を映し出した。さっそくシンガポールに出向き、NTSC方式のVTRを買いこみ、再びメソッドの電気店に持ち込んだ。夜、8時30分からの定時ニュースを録画し、10時30分メソッド発バンコク行きの夜行バスの運転手にVTRを託してもらう。

翌早朝、バンコクのバスターミナルに到着したVTRを受け取りに行った。だが内容は予想通り、軍の日々の活動PRばかりでデモなどの様子を伝える映像は1カットもない。毎日到着する役に立たないVTRが山のように積みあがってきたころ、ビルマで軍事クーデター起き、ソウ・マウン軍事政権が誕生した。当時、ソウ・マウン将軍は国際的には全くの無名で写真1枚すら手に入らなかった。東京のデスクの矢のような催促の中、支局に積まれたVTRの山が目に入った。
山のように積みあげられたVTRを目を凝らし見始めた。目が赤くなるほど見ていると、ビルマ人の助手が叫んだ。

「国営放送はこの人をソウ・マウンと呼んでいます」。棚からボタ餅が落ちてきたのだ。民主化が進みつつある今、ミャンマー国営放送の内容はどこまで変わったのだろうか。


写真1:ビルマ国境に近い街、メソッド

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