第128回 どこか懐かしいタイのポップライス 直井謙二

第128回 どこか懐かしいタイのポップライス
東南アジアの田舎町に行くと、子供のころに見たような風景に遭遇することがある。タイの子供たちが遊んでいる様子を観察していると、昭和の日本の子供たちの遊びによく似ている。ゴム飛び、鬼ごっこ、それに石蹴りやジャンケンなど日本人でも年配者ならすぐにでも遊びに参加できそうだ。
子供の遊びはなかなか忘れないものだが、香りや味も長く記憶に留まる。バンコクに近いアユタヤで王朝時代の戦闘風景を再現するイベントを取材したことがある。当時は象が戦闘の主役だった。
アンコール・トムの第一回廊にアユタヤ王朝とアンコール王朝との戦いを描いた壁面彫刻があるが、戦場に出掛ける象軍団の勇壮な姿が描かれている。象には3人の兵士が乗る。先頭の兵士は象を操る兵士、真中は長刀や槍を持ち、実際に戦う兵士。最後部は敵の攻撃から象の足を守る兵士である。
象の周りには数人の歩兵が付いており、現代の戦車部隊さながらだ。イベントはビルマ兵の服装をした軍とアユタヤ軍の服装をした兵士に分かれ、戦闘を再現するのだが、野生を合わせても象は4000頭ほどになり、絶滅が心配される象を傷つけないように気を使いながら行われた戦闘風景は迫力がなかった。
気落ちしながら帰り支度をしていると、どこからともなく懐かしい香りがしてくる。明らかに子供のころに味わった香りだが、正体が分からない。大勢の観戦者をかき分けながら香りのする方向に歩き、正体を見つけた。タイのポップライスだ。

タイのおばさんが、火にかけられた大きなドラム缶の取手をぐるぐる回している。しばらくして、おばさんがドラム缶の蓋を一気に開けると、爆発音とともに大量のポップライスが飛び出してきた。同時に懐かしい香りもあたり一面に立ち込めた。
終戦直後、日本は極度の食糧難に陥り、コメの配給は十分ではなく、芋やトウモロコシを主食に辛うじて飢えをしのいでいた。
コメの国タイは日本にコメを援助した。しかし、タイ米を炊いたご飯は日本人の口に合わず、配給されたタイ米はポップライスにして子供たちのおやつにした。配給に合わせるように、コメをポップライスにしてくれる職人が機材を抱えて町内を訪れていたのを記憶している。日本は急速に復興し、タイ米も姿を消した。
その後、日本米のポップライスは何度か食べたが、タイ米のポップライスとは香りも味も違う。40年、それにタイと日本という時空を越えた懐かしさに思わず笑みが浮かんだ。
写真1:ポップライスを作るおばさん
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