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第78回 金賢姫元工作員とカレン族 直井謙二

第78回 金賢姫元工作員とカレン族 直井謙二

第78回 金賢姫元工作員とカレン族

1987年11月29日、大韓航空機爆破テロ事件が起きた当初、大韓航空機はベンガル湾に墜落したと考えられていた。タイ航空管制当局の能力はベンガル湾の沖にまで達していたが、機影がとらえられなかったからだ。だが、ベンガル湾には何日たっても、機体はおろか、海に墜落すれば広い範囲で流出するはずのオイルも発見されなかった。

その後、タイの管制官はタボイと呼ばれるタイ領内の管制ポイントに飛行機が到達する時間までレーダーをチェックしていないことが分かった。にわかに陸上墜落説が浮上した。想像される墜落現場はタボイの西、タイとミャンマーの国境にあるカレン族の支配地区だった。

当時はまだカンボジア内戦の時代で、タイは陸軍の配備をカンボジア側に厚くしていた。このため、手薄なミャンマー側の国境警備のために反政府武装勢力であるカレン族と対峙しない施策を取っていた。

地下に潜ったカレン族の「外務省」と接触し、カレン族の当時の最高指導者、ボーミヤ議長(故人)との会見を申し込んだ。タイとミャンマーの国境の町、メーサリアップからカレン族兵士のガードを受けながら、モーターボートと徒歩で半日、カレン族が「首都」と定めるマナプロウに到着した。

マナプロウでは機関銃と迫撃砲を装備したカレン族軍が軍事演習をしていた。カレン族はイギリスの植民地時代、イギリスに重用されたことからキリスト教徒が多い。

イギリスに支配されたビルマ族は仏教徒が多いことなどから、ビルマ族とカレン族の確執は強く、太平洋戦争後、カレン族は独立を要求し、現在も戦闘が続いている。

マナプロウでボーミヤ議長と会見した。(写真)ボーミヤ「大統領」は大韓航空機が墜落した事件を知っていて、直後から犠牲者の捜索に当たったと述べるとともに、ビルマ人を除いた国際捜索部隊による捜索に協力する用意があると強調した。

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結局、その後、大韓航空機の残骸はベンガル湾で発見された。

一方、カンボジア紛争の解決やミャンマーが東南アジア諸国連合(ASEAN)に加盟したこともあって、タイはカレン族とミャンマー政府軍の戦闘を快く思わなくなった。タイはミャンマー軍との戦闘でタイ領内に流れ込んだカレン族難民をミャンマーに追い返し、国際世論の非難を浴びている。


写真:故ボーミヤ議長(右)と握手する筆者(左)

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