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人間国宝のお笑い芸人呉兆南と台湾の相声(下) 戸張東夫

人間国宝のお笑い芸人呉兆南と台湾の相声(下) 戸張東夫

<北京生まれの北京育ち、きれいな北京話>

二人が相声人生を貫くことが出来たのは他の芸人に欠けている資質―生粋の北京人、京劇の素養―があったからだ。伝統相声には京劇に材をとったものが少なくないから、その後の相声人生でずいぶん役に立ったであろう。


 
呉は1926年北京で生まれた。父が後に北平銀行総支配人になる裕福な家庭だった。幼時から京劇を学び、相声にも親しんだ。北京の中国大学に学んだが、卒業せずに1949年一人で難民として台湾にやって来た。職業に従事した経験もなく、卒業証書もなかったので、どこにも就職できず、止むを得ず京劇俳優として生計を立てるほかなかった。その後間もなく相声芸人に転じた。舞台経験もない素人芸人としてスタートを切ったのである。

相声が不振の時期焼肉料理店を開いたこともある。1973年米国に移民、ロサンゼルスに住む。米国籍を取得した目的の一つは中国との自由な交流であった。米国では現地の華人社会で相声や京劇を広めるのに尽力。1982年香港で中国の相声名人侯宝林に正式に弟子入り。その後1999年相声の後継者育成のため初めて劉増鍇ら六人を弟子として受け入れた。この六人が作ったのが「呉兆南相声劇藝社」。毎年定期公演を開いている。伝統藝術伝承の功績を称える政府の「薪伝奨」受賞、「台北市伝統藝術藝師」「伝統藝術保存者(人間国宝)」の称号を授与された。

魏は1927年北京で生まれる。生家は瑠璃廠で骨董店を営んでいた。北京師範大学付属中学に学び、1949年国民党軍とともに台湾に。当時魏は軍の京劇隊のメンバーとして軍内で京劇を演じていたが、その後相声に転じる。相声が不振の時は映画に出演したり、テレビアニメの声優などでしのいだ。1986年相声グループ「龍説唱藝術実験群」を創設、弟子を取った。相声の普及や保存に尽力したことから「薪伝奨」「中国栄誉文芸奨賞」を授与された。

<「呉兆南相声劇藝社」「表演工作坊」「相声瓦社」>

魏龍豪は夙に逝き、いままた呉兆南もいなくなった。だが、いまや相声は台湾にしっかりと根を下ろし、台湾のエンターテインメントの一つとして多くのファンの支持を集めている。二人は晩年弟子を受け入れ、相声の伝承にも配慮していた。二人のこうした努力は二人が語った相声とともに台湾の多くの人々の記憶の中にいつまでも残るに違いない。

呉と魏は昔北京で聴いた相声の記憶をたぐりながら折り目正しい相声を語り、新作には興味を示さなかった。だが、時代が変われば相声も変わらざるを得ない。いま本家の中国では相声のコント化や演劇化がすすみ、相声と舞台劇との境界があいまいになってきた。台湾も例外ではない。たとえば演劇グループ「表演工作坊」。劇作家の頼声川が1984年作った演劇集団である。頼声川は我が国でも公開された映画『暗恋桃花源』(1992年)や『飛侠阿達』(1994年)の監督として知る人も多い。

この劇団が『那一夜,我們説相声(あの夜、我々は相声を語った)』(1984年)と『這一夜,誰来説相声(今夜、誰が来て相声を語るのか)』(1989年)と題する現代劇を上演して大成功を収めたが、タイトルに「相声」とあるせいか、相声との関連がいつも話題になる。この二つの劇はそれぞれ独立した相声をいくつかつなげて一つのドラマを構成する構造になっており、いわば劇中劇のように相声を利用しているに過ぎない。前者について劇団は「間違えないように、今夜は相声の公演ではありません。演劇です」と注意を喚起したくらいだ。前者は滅び行く伝統について考え、後者は中台両岸の現状について語り合うという内容だ。形式も、テーマも従来の相声の枠には入らないというべきだろう。

「相声瓦社」はいま台湾で最も人気のある相声劇団といわれる。国立台北藝術大学出身の馮翊綱(フォンイィカン)、宋少卿(ソンシャオチン)らが1988年結成した。相声の改革を志向しているだけあって、相声であって相声でないといったところが感じられる。たとえば舞台に小テーブル一つにイス二脚、セットもない。演者二人か三人で立ったままで語るあたりまでは従来の相声だが、ドラマに合わせた衣装をつけたり、わずかながら演技を加えたり、舞台の上を縦横に動き回るといった具合である。伝統相声を演じることもあるが、多くは新作である。筆者の観るところ馮と宋の個人的魅力に頼っているようで、この二人がいなくなったら終わりということになるかも知れない。毎年一つか二つ新作を発表している。

「呉兆南相声劇藝社」は、呉と魏の意志を継ぐように伝統的な相声のスタイルを守っているが、今後新作に取り組んだり、相声劇のようなドラマ化の方向に進むのではあるまいか。また昨年11月上海に「上海呉兆南相声劇藝社」という拠点を設け、中国の相声グループと共同公演を行なうなど中国志向が目立つ。


写真1:呉兆南さん(左)を自邸に訪れた筆者(2014年1月)



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