第14回 オペラハウス 竹森紘臣
第14回 オペラハウス
5年前の日越国交樹立40周年のときには日本公演もあったのでご存知の方もいるかもしれない。ベトナムにはベトナム国立交響楽団という管弦楽団がある。1959に生まれたこの楽団は発足直後に戦争がはじまり活動休止を余儀なくされたが、ベトナム戦争がおわって人々が少しずつ平穏な日々を取り戻しはじめた1984年から本格的な活動を再開した。2001年から現在までは音楽監督、首席指揮者として就任している本名徹次氏のもとで、ベトナムをはじめアメリカやイタリアなどでも演奏を行っている。そのベトナム国立交響楽団が本拠地として定期演奏会をおこなっているのがハノイオペラハウスだ。
ハノイの旧市街とフレンチクオーターの境界にチャンティエン通りがある。もともと国営百貨店、国営図書館や証券所などが立ち並んでいたこの目抜き通りと他の5本の通りが交わるラウンドアバウトにアイストップとして建っている。(写真1)フランス統治時代のフランス様式の建築としては大きい規模で、現在でもハノイのランドマークのひとつである。建設はフランス統治開始直後の1902年ごろから1911年まで約10年の歳月をかけて行われた。フランス人にとって劇場という都市施設は非常に重要で、ベトナムのほかの主要な都市にもオペラハウスが建てられたが、ハノイのオペラハウスの規模や豪華さはともに他のものとは比較にならない。外観や屋根の架け方などがパリのオペラガルニエによく似ており、正面の外観にはドーリス式とイオニア式とが折衷された柱が立ち並んでいる。計画当初の図面では今よりも簡素なデザインになっており、外装も内装も現在のデザインになるまで装飾の追加や変更が何度か行われている。正面の入口から中に入ると、イタリア産の大理石でできた大階段や彫刻に迎えられ、統治時代に行われていたフランス人社交界の華麗な世界を想像する。(写真2)馬蹄型の劇場は3階建て、586席で天井には青空がフレスコ画で描かれている。正面の舞台の上には1911という竣工年がフランス人の祖先であるガリア人の彫刻とともに掲げられている。2階には鏡の間とよばれる正面のバルコニーに面するホールがあり、コンサートの幕間の休憩場として現在も利用されている。
フランス人による華やかな世界が終焉をむかえ、第二次世界大戦後の1945年に起きた八月革命の際にはベトナム国民に蜂起を呼びかける集会が行われ、オペラハウスの前の広場に集まる国民に向かってホーチミンが2階のバルコニーから演説をしたといわれている。1946年のインドシナ戦争のときには戦場ともなり、鏡の間の鏡の一枚にはそのときの弾痕が今も残されている。その後、正式な国会議事堂であるバーディン会堂ができるまでここで国会が開かれており、ベトナム人にとっても重要な歴史的史跡になっている。
昨年からオペラハウス見学ツアーが開催されて旅行者でも気軽に内部を見られるようになった。建物だけを見るにはこのツアーに参加するだけでもよいのだが、ぜひコンサートがあるときを選んで、ベトナム国立交響楽団のすばらしい演奏で優雅な社交場の雰囲気を楽しんでいただきたい。
写真1枚目:オペラハウス、外観(ハノイ、ベトナム)
写真2枚目:オペラハウス、エントランスの大階段(ハノイ、ベトナム)
写真3枚目:オペラハウス、劇場(ハノイ、ベトナム)
map:オペラハウス、ハノイ