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第13回 ベトナム漢字 -チュノム 竹森紘臣

第13回 ベトナム漢字 -チュノム 竹森紘臣

第13回 ベトナム漢字 -チュノム

フランス統治時代の建物が立ち並ぶハノイの古い官庁街の南端に、レンガ塀と緑に囲われた古建築が建つ一角がある。ベトナム最古の大学といわれる文廟である。年間をとおして多くの観光客が訪れ、その南門はハノイ市章として象られており、ハノイのシンボルのひとつだ。(写真1)1070年ごろ当時の皇帝によって建てられたといわれ、一番奥の建物には孔子が祀られている。文廟とはもともと中国で孔子を祀る廟のことであり、その名が残り、この最古の高等教育機関がそのまま文廟と呼ばれている。その廟の手前に両側を石碑に囲まれた広場がある。石碑は亀の彫刻の上にのせられている。合格祈願の縁起物とされ訪れた人が頭をなでるので、その部分だけ磨かれたようにピカピカに光っている。(写真2)石碑には日本人にとって馴染みが深い漢字のような文字で名前と地名が彫られている。これはベトナムの官僚試験に合格した「進士」と呼ばれる人たちの名前で、中国でいうところの科挙の試験の合格者碑である。文廟とは科挙試験に合格した官僚候補のための教育訓練学校であった。これをベトナムでは大学の祖としている。

さて、今回は文廟の建物ではなく、この石碑に彫られている漢字のような文字に着目したい。現在のベトナムでは、書き言葉はアルファベット文字で表現される。ベトナムを訪れたことがあるひとは街の建物を覆いつくす看板にアルファベット文字が書かれているのを目にしたと思う。このアルファベット文字はコックグー(国語)と呼ばれるもので、1945年にベトナムの正式な文字に指定された。ベトナムのアルファベットには、子音に発音を表す棒や点など6種類の記号がついており、その記号の声調どおりに発音しないとまったく違う意味になってしまう。このコックグー以前に使用されていたのがチュノムと呼ばれるベトナム漢字だ。

紀元前から始まる中国支配の時期に使用されていた中国漢字が、ベトナム語の発音に合わせて変化したものがチュノムである。チュは「字」であらわされ、ノムは口へんに「南」であらわされる。万葉仮名のようにベトナム語の発音の音に合わせて中国漢字を当てていたが、中国語との区別をするために口へんなどの部位を足して新しい文字をつくったのが始まりだ。中国支配から脱する10世紀から11世紀ごろから使用され始め、15世紀ごろにはチュノムだけを用いた詩集が編纂されるなど、文学的にも最盛期を迎え、中国漢字混じりではあるがチュノムが国の正式言語として採用されていた。チュノムの語源自体が「簡単な文字」という説があるが、実際には一部の知識人、特に自文化意識の強い知識人のものであったと考えられている。また16世紀以降、政治の中心が中部や南部に移ると公文書の中にチャム語が混ざるものもあり、ベトナムの文化の幅の広さや変化の激しさがうかがわれる。

1870年にキリスト教宣教師により布教のために考案されたアルファベット表記が、ベトナムの正式な言語、コックグーとなってから半世紀以上が過ぎている。コックグーのおかげでベトナム国民の識字率は格段に向上したといわれている。一方でチュノムを理解できるベトナム人は現在では全国で200人にも満たないといわれ、一般のひとたちがベトナムの古い歴史に親しむことが難しくなっている。この状況からベトナム人アーティストによりチュノムを表現の一部として作品を製作する動きがある。Le Quoc Viet率いるZenei Groupという集団で、彼らはチュノムの経典が残るベトナム中の仏教寺院をリサーチし、その物語やカリグラフィーの研究を行い、作品製作やパフォーマンスに反映させている。このようなアーティストだけでなく、一般のひとの中にも教養や文化としてチュノムを残していこうという動きも少しずつ出てきており、伝統文化としてのチュノムが後世まで残されることが期待される。

 

このような歴史を持つハノイ駅であるが、冒頭でふれたように建替案が浮上している。ハノイ駅に入駅舎建物自体のキャパシティも小さく、今後増加する利用者のための商業施設をつくることも難しい。現在のハノイ駅が中心部にあり、周辺の土地権利者との調整が難しいというのもある。現在のハノイ駅を残すべきか、残すとしたらどのように残していくかということも大きな論点となっているようであるが、ぜひ十分な議論を尽くしていただき、この場所と歴史にふさわしいハノイ駅をつくっていただきたい。


写真1枚目:文廟 南門(ハノイ、ベトナム)
写真2枚目:進士 合格者碑(ハノイ、ベトナム)
map:文廟、ハノイ

 

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