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第22回 昨今のアンコール  直井謙二

第22回 昨今のアンコール  直井謙二

第22回 昨今のアンコール

国境線をめぐるタイとカンボジアの銃撃戦や世界的な経済不況の影響で、カンボジアの観光客の増加が鈍っているが、それでも毎年200万人を超える観光客が訪れる。むろん、目玉はカンボジア西部に集中するアンコール遺跡巡りだ。

中でもアンコールワットは周囲4キロ、参道から本堂まで700メートルという桁違いなスケールに加え、インドの神話をモチーフにした繊細な壁面彫刻や高さ64メートルの中央祠堂は見る者を圧倒する。参道は国際色豊かな観光客で混雑し、正月の明治神宮を思わせる。

1986年、初めてカンボジアに入った。ポル・ポト政権を追い出してまだ数年の首都プノンペンは車も人もまばらだった。邦人記者が何度も試みては拒否されてきたアンコールワットを1回目の入国で取材できる幸運に恵まれた。ただし、夜間はポル・ポト派兵士が出没するので、日帰りツアーだ。

旧ソ連製のプロペラ機でプノンペンからシエムレアプ空港に到着。アンコールワットまでは、これまた旧ソ連製のトラックが2台用意された。1台にはヘン・サムリン政権の兵士が多数乗り込んでいた。別の1台に乗り込むのだが、旧ソ連製のトラックは車輪が大きく、荷台が高い。兵士にお尻を押してもらいながら、トラックによじ登った。 

アンコールワットに到着すると、兵士は境内に展開し、護衛している間だけアンコールワットを見学できる。巨大な遺跡をわずか2時間で取材しなければならない。その後、何度もアンコールワットを取材したが、これほど忙しい取材はなかった。参道、経堂を撮り、第一回廊の壁面彫刻を撮り、江戸時代にアンコールワットを訪れた森本右近太夫の残した文字を撮り、中央祠堂のベランダまで上り詰めたときには息が切れた。ただ、広い境内には人影がなく、取材しやすかった。取材時間はあっという間に終わった。

帰りをせかすガイド役の外務省職員にすぐ近くのアンコール・トムも取材したいと話したら、「死にたいのならどうぞ」と言われてしまった。その後、ポル・ポト派は徐々に衰退していったが、それでも1993年にアンコールワット訪れたときは西参道の入り口にひっそりと戦車が隠されていた。(写真)


90年代の後半からは地雷もほぼ取り除かれ、アンコールワットには内外の観光客が押し寄せ、クーラーもない廃虚のようなホテルに代わって、外資系の高級ホテルが立ち並ぶようになった。90年代の末に家族を連れてアンコール遺跡を巡った。「こんな高級ホテルに泊まってうらやましい」と言う家族に返す言葉がなかった。


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