第293回 世界に羽ばたく後輩の元女性記者 伊藤努

第293回 世界に羽ばたく後輩の元女性記者
勤務先の国際ニュース報道の職場で後輩の女性記者だったAさんから久しぶりのメールをもらった。女性でありながら、若くしてニューヨークとワシントンの特派員を務めたAさんは3年ほど前に、東京に帰任するタイミングで記者人生に一応の終止符を打ち、米国の大学院に留学する道を選んだ。国際関係論を学んだそうだが、2年間の修士課程の猛勉強の末、学位を取り、新たな仕事も見つかったことの報告だった。
A元記者は米国勤務が長かったので、欧米など先進国に関心が強いと思われるかもしれないが、本社勤務時代に仕事の帰りに一杯やったときに聞いていたのは、アフリカへの思い入れだった。アフリカへの関心ということで、東京で仕事をしていたときも、国連機関のプレスツアーなどの募集を見つけると、これに応募してアフリカなど開発途上国の人道支援活動の現場を取材しては、長い原稿を書いていた。
ワシントン支局勤務時には、2010年初めに中米のハイチを襲った巨大地震の被災現場取材の出張でいち早く手を挙げ、想像を絶する過酷な取材だったにもかかわらず、臨場感あふれる見事なルポ記事を送ってきた。記者、とりわけ国際報道に当たる特派員の場合、このような厳しい取材現場で日頃の持てる力を発揮できるかどうかが大事だと筆者は考えているが、知らない異国で、なおかつ取材拠点も記事送稿の通信機器なども不十分な中、当時のAワシントン特派員のさまざまな取材上の工夫や仕事ぶりは目を見張らせた。このときの長文のルポ記事は、筆者が勤務する会社の無料ニュースサイトの特集画面に収録されているので、興味のある方はぜひとも目を通していただきたい。
Aさんが報道記者の仕事に一つの区切りを付け、米国の大学院でもう一度勉強しようと考えたのは、グローバルなこの時代に世界を舞台にかねての希望だった国際機関の職員として働きたいという思いが強かったためだ。留学中、一時帰国した折にAさんと会ったことがあるが、英語が堪能な彼女にしても、大学院では読まなければならない専門書や論文がたくさんあり、ほかに何かできる時間はないと話していた。
修士の学位を取得するとほぼ同時に見つけた仕事は、赤十字国際委員会(ICRC)の国際職員で、近く最初の赴任先であるフィリピンのマニラに向かう。Aさんにはフィリピンは初めて訪れる国だというが、以前、取材でマニラを何度も訪れた筆者は「マニラにはラーメンと餃子の店もあるから、食事は心配要らないよ」と返信メールで伝えた。間もなくして、貴重な情報に感謝しますという返事があった。ジャーナリスト出身の後輩には、新たな世界で大いに頑張ってほしいと思う。