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日中関係の現在 共通利益と共通価値 加茂具樹

日中関係の現在 共通利益と共通価値 加茂具樹

日中関係の現在 共通利益と共通価値

加茂具樹 慶應義塾大学総合政策学部教授

 日中両国が直面している課題の深刻さは、はたして両国が自国の平和と繁栄にとって必要としている国際秩序は同じものなのか、日中両国は同じ国際社会に存在しているのか、という疑問を抱かせてしまう。20241115日にペルーの首都リマで行われた日中首脳会談をふまえ、現下の日中関係の現状と課題を確認してみたい。

 

異なる社会体制

 石破茂総理大臣は、習近平国家主席との会談の後、記者に対して「大局的な観点から意見交換ができた」、「日中間には当然、様々な意見の相違はあるが、今後とも、習主席との会談を重ねていくということで一致を見た」、「首脳間を含むあらゆるレベルで、頻繁に意思疎通を図り、課題と懸案を減らしていく」と語った[注 i ]

 もちろん現在の日中関係は、首脳が意思疎通をすれば課題と懸案が減るという、単純な構造ではない。この石破総理の言葉は、首脳会談後の高揚感に満ちたものと捕らえればよい。考えてみれば、日中両国は、19729月に国交正常化した時に、その困難性を自覚していた。国交正常化を発表した共同声明は、次のように記していた。「日中両国間には社会制度の相違があるにもかかわらず、両国は、平和友好関係を樹立すべきであり、また、樹立することが可能である」と[注 ii]

 日中両国が、たとえ社会体制が異なっているとしても、平和友好関係を構築する必要がある、と合意した理由はなにか。同共同声明は、「両国間の国交を正常化し、相互に善隣友好関係を発展させることは、両国国民の利益に合致するところであり、また、アジアにおける緊張緩和と世界の平和に貢献するものである」と語っていた。また197912月に訪中した大平正芳総理が、対中円借款を供与する用意があることを発表した演説は、その理由を「より豊かな中国の出現がよりよき世界に繋るとの期待」と説明していた[注 iii]。社会体制の異なる日中両国の結節点は、大局的な国際秩序観の一致、であった。

 日中両国は、同じ国際社会の一員として関係を発展させ、世界の平和と繁栄に貢献することを追究してきた。これから日中が追究する大局的な国際秩序観とはなにか。そのためには、国際社会とはなにか、を確認しておいたほうがよいだろう。国際政治学者であるヘドリー・ブル(Hedley Bull)の研究がその理解を深めてくれる。

 

国際社会とはなにか

 ブルは、国際社会が存在することを、次のように定義している[注 iv]。「一定の共通利益と共通価値を自覚した国家集団」が、「その相互関係において、それらの国々自身が、共通の規則体系によって拘束されており、かつ、共通の諸制度を機能させることに対してともに責任を負っているとみなしているという意味で」、「一個の社会を形成しているとき」、と。

 そして「歴史上の国際社会に共通する一つの特徴」をブルは、「共通の文化や文明に基礎をおいていた」と論じていた。それは「共通の言語、宇宙についての共通の認識と理解、共通の宗教、共通の倫理規範、共通の美学的・芸術的伝統」の上に少なくとも成り立っていたと説明していた。

 またブルは、「このような共通の文明的要素が、ある国際社会に内在している」とき、以下の二つの点で「その社会の機能を促進している」と語っていた。一つには、上述の要素が、「二国間の意思の疎通を容易にし、両国の意識と理解を緊密なものにすることに貢献し」、「共通規則の明確化と共通制度の発達を促す」からであり、いま一つには、「共通の価値観と共に共通の規則や制度を受容することが、国家にとって、「やむを得ないものであるとされるような共通利益意識を強められるかもしれない」という認識を抱くからだという。

 ブルが「国際社会」を論じた The Anarchical Society: A Study of Order in World Politicsには[注 v]、日本語訳(『国際社会論 アナーキカル・ソサイエティ』)、また中国語訳(『無政府社会 世界政治中的秩序研究』)[注 vi]がある。日中の学術界はブルの研究を共有している。

 

共通利益と共通価値

 日中両国がいま追究している共有利益と共通価値とはなにかと問われれば、それは「戦略的互恵関係」の推進と「建設的かつ安定的な関係」の構築、という言葉に体現されているといってよい[注 vii]

 「戦略的互恵関係」は周知のとおり、200610月に安倍晋三総理が訪中して提起して以来、日中関係の現在と未来の方向性を示す言葉と位置付けられてきた。ただし、一時期、この言葉は日中関係から消えた。201810月の安倍総理の訪中以降、日本外務省が発表するプレスリリースは言及しなかった[注 viii]2020年版の『外交青書』からも消えていた。また新華社も201810月の安倍総理の訪中以降、報じなかった。なお、言及しないことが「戦略的互恵関係」の否定を意味するものでもないが、もちろんそれには意味がある。

 そうした背景のある言葉を2023年に日中両国は、再び両国関係を体現する言葉として位置付けたのである。202311月のアメリカ、サンフランシスコでの日中首脳会談において、両国首脳は「戦略的互恵関係」に言及し、202411月のペルー、リマでの会談でもこれを確認した。

 日中両国が「戦略的互恵関係」の再確認に合意した理由については、202212月に閣議決定した「国家安全保障戦略」が中国の対外行動を「これまでにない最大の戦略的挑戦」と定義していたことへの中国側の反応、という説明がある[注 ix]

 以上の経緯や説明を踏まえれば、社会制度の異なる日中両国は、今後、「戦略的互恵関係」を体現する具体的な共通利益と共通価値を可視化する取り組みをすすめるのだろう。リマでの首脳会談後に外務省が発信したプレスリリースは、「石破総理大臣から、日中関係が発展して良かったと両国民が実感できるような具体的成果を双方の努力で積み上げていきたい旨強調しました」という言葉を書き添えている。つづけて、「両首脳は、協力拡大と懸案解決に向け、外相の相互訪問及びそれに伴う日中ハイレベル人的・文化交流対話、日中ハイレベル経済対話を適切な時期に実現すべく、調整を進めていく」、と示していた。日中「友好」を唱えるのではなく、共通利益と共通価値とは何かを考え、大局的な国際秩序観を共有し、それを明確にしようとするモメンタムを醸成しようとする意識を読み取れる。

 

「一個の国際社会を形成している」とはなにか

 もう一つの課題がある。日中両国が、社会制度の違いを越えて同じ利益や価値を共有している同じ国際社会の構成員なのであれば、ブルが定義する「国際社会」への理解が重要な意味を持つはずだ。ブルは次のようにいう。

“A society of states (or international society) exists when a group of states, conscious of certain common interests and common values, form a society in the sense that they conceive themselves to be bound by a common set of rules in their relations with one another, and share in the working of common institutions.”
 
 はたして日中両国は、「一個の国際社会を形成している」という言葉の理解を共有できているのだろうか。The Anarchical Society: A Study of Order in World Politics の日本語訳と中国語訳には、選択した言葉の感覚(語感)に違いがあるように思う。

同書の第二版の日本語訳は以下の様である。

「主権国家から成る社会」(あるいは、国際社会)が存在すると言えるのは、一定の共通利益と共通価値を自覚した国家集団が ―― その相互関係において、それらの国々自身が、共通の規則体系によって拘束されており、かつ、共通の諸制度を機能させることに対してともに責任を負っているとみなしているという意味で ―― 一個の社会を形成しているときである。

同書の第二版の中国語訳は以下の様であった。

如果一群国家意识到它们具有共同利益和价值观念,从而组成一个社会,也就是说,这些国家认为它们相互之间的关系受到一套共同规则的制约,而且它们一起构建共同的制度,那么国家社会(或国际社会)就出现了。


 日本語訳によれば、国際社会を形成する諸国家は共有する価値や利益を実現するために存在する諸制度を機能させることに責任がある、と読める[注 x]。一方の中国語訳は、国際社会を形成する諸国家は国際制度の構築を共に担う、と読める[注 xi]

 
 英語の原文にある share in the working of common institutions を如何に訳すか。英語から日本語へ、英語から中国語へのいずれの翻訳にも誤りはないだろう。しかし、この日本語と中国語の語感にもし相違があるのだとすれば、それは、国際秩序や国際社会、あるいは国際秩序をかたちづくるルールに関する認識をめぐって、日本と中国の両国間に生じる相違を理解するために必要な重要な手掛かりを示しているのかもしれない。

 これもまた大局的な国際秩序観を日中で共有するうえでの重要な論点のはずである。そして石破茂総理が日中首脳会談で語った、「日中関係が発展して良かったと両国民が実感できるような具体的成果を双方の努力で積み上げていきたい」という考えを実現するためには避けて通ることができない論点であろう。

 


注 i 「石破首相 初の日中首脳会談や日米韓首脳会談 内容は【詳しく】」 『NHK NEWS』 20241116, https://www3.nhk.or.jp/news/html/20241116/k10014640321000.html

注 ii 「日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明」 外務省 https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/nc_seimei.html

注 iii (8) 大平総理大臣の中国訪問の際の政協礼堂における公開演説(1979年12月7日, 北京)」 『外交青書 1980年版』 https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/bluebook/1980/s55-shiryou-10208.htm

注 iv ヘドリー・ブル 臼杵英一訳『国際社会論 アナーキカル・ソサイエティ』岩波書店、2000年。日本語訳は、英語原著の第2版を翻訳したものである。

注 v Hedley Bull (1977), The Anarchical Society A Study of Order in World Politics, Hampshire: Macmillan Press Limited. 第2版は1995年、第3版は2002年、第4版は2012年に刊行されている。本稿の執筆にあたっては、英語第4版を参照した。

注 vi 本稿の執筆にあたっては、以下の中国語訳を参照した。赫徳利・布爾 張小明訳『無政府社会 世界政治中的秩序研究(第四版)』上海人民出版社、2015年。なお第2版は世界知識出版社から2003年に、第3版は北京大学出版社から2007年に刊行されていた。

注 vii 「日中首脳会談 令和61115日」 『外務省』https://www.mofa.go.jp/mofaj/a_o/c_m1/cn/pageit_000001_01251.html

注 viii 201711月のベトナム、ダナンでの会談を最後に202311月のアメリカ、サンフランシスコでの会談まで、会談後に外務省が発表したプレスリリースには「戦略的互恵関係」は示されていない。「岸田首相と習主席、1年ぶり会談 背景に中国の変化」『日本経済新聞』20231116日。https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA143E00U3A111C2000000/

注 ix 「【霞関会編集長インタビュー】日中関係の低迷打破のため『戦略的互恵』のアクションをとれ 前駐中国大使 垂英夫」 『一般社団法人 霞関會』 202474日。

注 x これの日本語訳は、「『主権国家から成る社会』(あるいは、国際社会)が存在すると言えるのは、一定の共通利益と共通理解を自覚した国家集団が、 ―― その相互関係において、それらの国々自身が、共通の規則体系によって拘束されており、かつ、共通の諸制度を機能させることに対してともに責任を負っているとみなしているという意味で ―― 一個の社会を形成しているときである」とである。

注 xi 中国語訳は、「如果一群国家意识到它们具有某些共同利益和价值观念,从而组成一个社会,即它们认为在彼此之间的关系中受到一套共同规则的制约,并且一起确保共同制度的运行,那么国家社会(或国际社会)就形成了」である。


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