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第20回 雉の恩返し説話で有名な原州の鎮山 雉岳山 森正哲央

第20回 雉の恩返し説話で有名な原州の鎮山 雉岳山 森正哲央

第20回 雉の恩返し説話で有名な原州の鎮山 雉岳山

今回は江原道南西部に位置する中都市、原州の鎮山、雉岳山(1288m)を紹介したい。高速道路(中央道および嶺東道)や鉄道(中央線)が通じている原州は交通の便も良く、ソウルからも日帰り可能な山として人気がある。紅葉が美しいことから、かつて赤岳山と呼ばれた。1973年に道立公園、84年に国立公園に指定されている。

雉岳山の名は有名な“雉の恩返し”説話に由来している。――むかし、ある書生が、雄の大蛇に呑み込まれようとしている雉を助けた。後日、書生が科挙(官位登用試験)を受けるため旅をしていたところ、雉岳山の麓で退治した大蛇の雌に捕まってしまった。大蛇が、夜明け前に山の鐘が3回鳴ったら助けてやろうと言ったところ、あたりに鐘の音が3回鳴り響き、書生は九死に一生を得ることができた。夜が明け、書生が山に登ってみると、頭の砕けた3羽の雉が鐘の下で死んでいた――。

雉岳山の稜線は、北の梅花山(1033m)から主峰の毘盧峰(1288m)を経て、南の南台峰、時鳴峰(1196m)まで南北にのびている。その山並みは、原州市内なら、どこからでも目に入る。今回は北の亀龍寺から毘盧峰へのぼり、主稜線のほぼ中央に位置する香盧峰まで縦走、杏邱洞の国香寺へと下った。

所草面鶴谷里の亀龍寺入口までは、原州市中心部からバスで約40分。終点の駐車場は小ぢんまりとして、みやげ物屋兼食堂が3、4軒並ぶ。樹林の中の参道を800メートル歩き、亀岩と呼ばれる大きな岩を過ぎると亀龍寺の前にでる。境内へは、樹齢200年の大イチョウそばの四天王門をくぐって階段を上がる。新羅時代の668年に義湘大師(625~702)が、9匹の龍が住む池を埋めて創建したといわれ、当初は九龍寺と呼ばれた。改称の経緯を伝える伝説には、大地に流れる精気によって盛衰が決まるという、風水思想がよく表れている。

亀龍寺から細簾瀑布までは亀龍寺渓谷に沿って2・1キロ、約1時間余り平坦な小道を歩く。途中、自然観察路、キャンプ場、滅種危機植物園などを通過する。山道から100メートル入ったところにある細簾瀑布の前で小休止する。雉岳山を代表する二段の滝だが、水量は少なく、迫力はいまいち。山道に戻り橋を渡るとすぐ分かれ道で、左折すると山頂まで2・7キロの尾根道、直進すると渓谷沿いの道。毘盧峰山頂までの距離はほとんど変わらないので、今回は尾根道を行く。

平日だがハイカーは多い。この尾根道は、雉岳山の数あるコースの中で最も勾配がきつく、さすがに息があがる。しばらく登ると梯子模様の切り立った岩壁、梯子絶壁道を通過する。最後に立ち休みを繰り返しながら急階段をクリアすると、展望のよい山頂にでた。上空には青空が広がっているが、下の方は霞み、期待していた原州の街は見えない。南には香盧峰、南台峰の山並みがつらなり、深い谷を覆う樹木が万華鏡のように色づき始めていた。頂に立つ3つのケルンは、南から龍王塔、山神塔、七星塔の名で呼ばれている。原州市内に住んでいた男性が夢のお告げにしがたい、1960年代に一人で築き上げたそうだ。

山頂を後にして香蘆峰へ向かう。尾根道は樹林に囲まれ展望はきかないが、赤く染まったモミジが美しい。しばらく歩くとファン谷との分岐を過ぎる。ファン谷を鳳山洞へ下るコースは、中腹には立石寺、立石台があり人気だ。広場のある小ピークを越えて再び下るとコッドゥンチ十字路(860m)にでる。西麓の講林面と原州を結ぶ峠だった場所。峠からルート最後の登りをつめると、香爐峰の山頂につく。広くはないが、西側の展望には恵まれ、ぼんやりと原州市街が望めた。

数百メートル引き返し、尾根道と別れて杏邱洞へ向けて下る。樹間に西日が射し込み、風が吹くたびさざなみのように梢が鳴る。普文寺からは舗装路となるが、勾配がきつく、独りでに走りだしてしまいそう。香爐峰から1時間もかからず国香寺まで下りてしまう。国香寺前からもバスが出ているが、600メートル下の星門寺まで下りると本数が多い。

●アクセス(バス)
・原州市街~亀龍寺 41番バス。1100ウォン。
・星門寺~原州市街 81-1バス乗車。1100ウォン。

「2015年11月初掲」

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