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日本のマナーについて 伊藤孝司(日本語版・2)

日本のマナーについて 伊藤孝司(日本語版・2)

第2回 学校で教えられた武家のマナー

中国語と日本語で日本のマナーについて紹介します。(中文版


 「マナー」とは何でしょう。

 ある辞典では、「(1)行儀作法。礼儀。ある行為や事柄に関するやり方や態度。(2)風習」と書かれています。

 社会という人々の集団の中でお互いが守ることによって相手に配慮し、不快な感情を抱かせないための「ルール」が「マナー」であるように思います。お互いが遵守することによって、集団生活がスムーズに進むのです。

 日本は国土面積が中国の25分の1に過ぎない島国です。しかし、地方は独自の文化を持ち、それぞれの地域にマナーがあります。

 また、社会の階層や職業、文化的・民族的背景によってもマナーは変わります。

 明治維新以前の江戸時代、武家には武家のマナーが、町人には町人のマナーがありました。人々の地域間移動が少なく、各地域で独特のマナーが生まれました。

 徳川家出身の将軍を頂点とする武家社会には、封建制の秩序を背景とする「武家礼法」がありました。支配者と被支配者との関係を秩序立てるために、心構えとしての「武家礼法」が必要だったのです。これが守れなければ、「無礼者」として殺されることもありました。

 現代の日本人は畳の上に「正座」で座ることに慣れています。これも元は、諸大名が将軍に謁見する際の座り方でした。庶民の日常生活では「あぐら」や「立て膝」で座ることが一般的でした。

 被支配者は事実上の最高権力者であった将軍の前でひざまずくように「正座」することによって、恭順の意を示したのです。

 江戸幕府の支配者とそれに従う被支配者の関係を基本とした「武家礼法」。明治維新後に西洋の文化が一気に日本へ流入すると、存在の基盤を失ってしまいます。

 明治維新以降、地域や身分による集団によってバラバラだった人々を、近代的な「日本人」という集団にまとめ、諸外国に対抗する必要に迫られました。その際、マナーも統一させなければなりませんでした。それまでは各集団内の約束だったマナーを、日本という大きな範囲で共有することを目指したのです。

 支配者と被支配者という身分差に基づいた「武家礼法」は、天皇を頂点に日本を一つにまとめることを目指す明治政府にとって、都合が良いものでした。明治政府は学校教育を通じて、「武家礼法」を庶民に広めようとしたのです。

 「武家礼法」にはいくつかの流派がありました。その内、幕府の公式礼法だった「小笠原流」が学校におけるマナー教育に影響を与え、教科書にも使われました。

 日本で「小笠原流」と言えば、「正統派マナー」の代名詞です。しかし一方では、「事細かくて面倒くさい」ことの象徴のように言われることもあります。

 1881(明治14)年に発行された『小学女礼式』という小学校で学ぶ女児向けの教科書では、日常生活における立ち居振る舞いのマナーが「小笠原流」に基づいて詳細に書かれています。例えば、お辞儀の方法、目上の人を通り過ぎる方法、相手に茶菓を勧める方法など、日本人である私でさえ、読んでいて頭が痛くなるほどです。日常生活で起こりうる様々なことが、このような形でマニュアル化され、小学校で教えられたことは、日本のマナー文化において特筆すべきことです。

 これが、明治後半に入ると、教育内容に大きな変化が見られます。明治初期には「礼法」と呼ばれたマナーや作法の授業は「修身(現在の「道徳科」)」に組み込まれます。日常生活での立ち居振る舞い方が中心だった内容も、富国強兵政策の開始とともに、神社への参拝方法や国旗の取り扱い方など、国家主義的色彩が強まっていきます。

 その流れは昭和に入っても続きます。尾張徳川家19代当主だった徳川義親は文部省文部時報・作法教授要項調査委員長として、1941(昭和16)年に文部省から発表された『礼法要項』の執筆に参画しました。徳川義親は、武家の儀式やマナーと日常生活でのマナーを区別し、日常生活でのマナーを体系化したことに特徴がありました。

1945年の敗戦に至るまで学校で行われた詳細なマナー教育は、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の命令で「修身」の授業が禁止されたことにより終焉を迎えました。「修身」は現在、「道徳科」として復活していますが、独立した人間として他者とより良く生きていくための道徳性を高めることに重点が置かれており、以前のような武家の作法をもとにしたマナー教育は行われていません。

『礼法要項』を執筆した徳川義親は敗戦後も、一般読者向けに『徳川エチケット教室』など何冊か執筆し、日本人のマナー形成において非常に重要な役割を果たしました。

 この文中に挙げた教科書類は日本の国会図書館、国立教育研究所などのサイトで公開されています。興味のある方は一度、ご覧ください。

 私はこの文章を書くにあたり、明治期から昭和期に書かれたマナーの教科書を何冊か見ました。一言で言えばマナーの「マニュアル」で、一挙手一投足すべてが詳細に規定されており、現代社会において、その通りに生活することは困難なように思います。

 社会は変化していくものです。よほど必要のある人でないかぎり、本に書いてあるマナーをすべて覚える必要はありません。日本では結婚や就職など、様々な場面に応じた「マナー本」が数多く出版されており、図書館にも所蔵されていますので、必要に応じて本を読んで勉強すれば、人生のさまざまな局面を乗り越えて行けるのではないでしょうか。



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